遂にゴキブリが出現しました。
そのためゴキブリホイホイを買って、冷蔵庫の裏に設置しました。
仕事を終えて帰ってくると、見事にゴキブリさんを捕獲!
捕獲したゴキブリは、そのままゴミ箱へと捨てました。
ごめんねゴキブリ君。
ただゴミを捨てるように、何の感情もなく捨てたわけですが、ゴキブリにとっては「自分」が死んだことになります。
人間に例えるなら、突如、交通事故に巻き込まれて死亡してしまったようなものかもしれません。
もし自分や家族が死に直面するなら、それは「ものすごいこと」であり、センチメンタリズムに陥るのだと思います。
単なる死という物理的な事実に対し、そこには感情や主観が入り込み、悲嘆の物語が創造される。
まるで「(神ならぬ)人間様が死んでしまった」というほど持ち上げます。
しかし、ゴキブリや蚊であれば「パシっ」と叩いて「はい、終了。さよなら」です。
自分にとって重要性ではなく、むしろ害になる生き物ですから、まあ当然ではありますが。
さて、今年の夏も終わりが近づいています。
蝉が最後の力を振り絞って、生命の賛歌を奏でています。
ある蝉は力尽き、その亡骸は地面に落ちてたりします。
「おつかれさま」と私は独り言を言って、声を掛けます。
そして、いつか、私もこのような亡骸になるのだと思いを馳せるのです。