そこに至福がある

自由に、自分らしく、平穏に生きるためのブログ。

雲となり泡となり

宇宙にとっては、私など米粒みたいなものである。
いや、米粒にさえなれないだろう。むしろ、認識すらされないかもしれない。
私(自我)にとっては私は私であり、この世界は私にとって重要なもので構築されている世界なのだけれども、宇宙にとってはそんな分類などした覚えなどなく、もっと混沌としたものがそこにあるかないかで浮いてるようなもの…だけかもしれない。まるで炭酸の無数の泡が湧くように、その泡の一つが私なのかもしれない。むろん、炭酸を飲む者にとってその一つ一つの泡などはどうでもいいものである。泡は泡でしかないのだから。

あるいは、たまたま見上げ空に見えた一筋の雲…それが私かもしれない。その雲は厳密にどこからどこまでが雲(私)と定義できるわけでもなく、また見る人(見る角度)によって雲の形も違うが、そうこうしてる間に雲は流され一瞬一瞬、形が変えながら移ろい、やがて離散する。
雲は言うかもしれない。実はその雲には自我があって「私は○○という雲のなのだ!」と胸を張るかもしれない。しかし、空を眺めるものにとっては、一つ一つの雲などどうでもいいものである。雲は雲でしかないのだから。